「…以上だ。気をつけて帰れよ。」
担任のそのひと言に、教室の空気がざわめき、生徒たちの椅子を引く音、鞄が机とぶつかる音などがそのざわめきを彩った。
他の生徒達と同じく妖も、自身の教科書の代わりに銃火器とPCが詰まった革鞄を片手で肩に担ぎ、ガムを膨らませながら席を立った。
何も言わずとも、普段からつるんでいるまもりとマリアが、自身の帰り支度を終えて妖の近くに寄って来る。
今日は二人がマネージャーを務めるアメフト部の練習が休みの日だ。
特に約束などしているわけでも無いが、買い物かファミレスにでも行くつもりなのだろう。
「あぁ、ルイス、ちょっといいか?」
担任の思い出したような言葉が、麗らかな午後の街へ繰り出そうとした三人の足を引きとめた。
未だ年若いであろうに、くたびれた白衣と伸びた髭のせいで老けて見える男だ。
呼び止められた当の妖は、膨らましたガムをパチンと割り肩を竦めると、まもりとマリアに向かって
「糞ゲジ眉からデートのお誘いだ。先に行ってろ。」
と担任の後を追い数学研究室へと歩き出した。
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「講演会?」
「あぁ、今年は俺が責任者になってしまってね。来週までに誰か頼まなきゃならないんだが…
残念ながら声を掛けた人たちからはことごとく振られてしまってね。」
「だからクリフォードに?」
「あぁ…クリフォードはここの卒業生でもあるし、元から候補に挙がってはいたんだが、
俺はルイスの担任だろう?だからあんまり気乗りしなくてね…。」
「根回ししたみたいでか?ケケケ、よく言うぜ。
なら俺に話を通さねーで直接アイツに掛け合えばいいじゃねぇか、キッドせんせ?」
一瞬、担任の武者小路の身体が強張ったのを、妖は見逃さなかった。
「…まったく、そういうのどっから仕入れて来るんだか。」
「ケケケ。伊達にアイツの妻やってマセンよ。
つーか隠そうとしたって無理だろ。旦那と同学年で元ライバル校のエースQB、なんて。
ナンデまた一度捨てた筈の武者小路紫苑の名を語ってんだか知らねーが?
…アメフトはもうやんねーのかよ?」
武者小路は眩しそうに目を細め、窓の外、グラウンドに視線を投げた。
そこでは部活動が休みだというのに、自主練習に励むアメフト部員の姿があった。
「…それはそっくりそのままクリフォードに返すよ。先にアメフトをやめたのはあっちだ。」
「アイツがアメフトをやめたのは、それより面白ぇモンを見つけたから、ただそれだけだ。
テメーのように不完全燃焼で燻ってるわけじゃねぇよ。」
「…ほんとーに、お前は…。」
苦笑を零す髭だらけの顎を、妖の細い指が、つ、となぞった。
「俺は好きだぜ、アンタの早撃ち。」
瞬間武者小路の背筋に走った戦慄を、この幼い少女は、見通していたのだろうか。
息を止めたままただ妖に見入る武者小路に、少女はあっさりと手を離し言い放った。
「話は通しといてやる。多分クリフォードは受けると思うぜ。
…なんせ一番のライバルからのお願いだからな、ケケケッ。」
身を翻し、まるでスーパーモデルのような華麗な歩みで数学研究室を去る妖の後姿を、
武者小路はただ眩しそうに眺めていた。
揺れるプリーツのスカートが、扉の向こうに消えても、ずっと。
キッド先生(数学)はヒル魔さんの担任にしちゃいました。
キッド先生とクリフォードは同い年、高校~大学時代のライバル設定です。
ヒル魔さんはクリフォードの嫁ですが、キッド先生のこと大好きです。(←いいのかそれで?!)
キッド先生は自覚ありの小悪魔ルイス夫人に振り回されっぱなしです。